郷ひろみのジャニーズ時代の画像!事務所移籍の理由は社長との関係?
いくつになってもカッコイイ郷ひろみさん。実は元ジャニーズ所属アイドルだったんですよね。
でもなんで事務所を脱退したのでしょう?その本当の理由に迫るとともに当時の画像もご紹介。郷ひろみさんの意外な情報に要チェック!
郷ひろみさんといえば、「ジャパーン!」の掛け声と「億千万、億千万♪」が有名だと思います。そんな郷ひろみさんは元ジャニーズ所属のアイドルとして華々しくデビューしました。
ジャニーズ事務所に所属していれば順調に現在の人気を獲得できたと考えられますが、脱退してしまいます。
郷ひろみさんがジャニーズ事務所を脱退した理由とはいったい…。
真相に迫ると意外な事実が浮上しました。この件に関しては記事後半でお伝えするとしまして、まずは当時の画像から御覧ください。
その他の元ジャニーズの現在や脱退理由についてはこちらでご紹介しています。
郷ひろみのジャニーズ時代の画像がカワイすぎ!
1972年にジャニーズ事務所からデビューした郷ひろみさんは1975年3月までジャニーズ事務所に所属していました。
ジャニーズ事務所は今でこそ芸能プロダクションの中でもトップクラスの規模を誇りますが、郷ひろみさんが所属していた頃はまだまだ小規模だったんです。
アイドルだった頃の郷ひろみさんは、歌だけではなく1972年放送のNHK大河ドラマ「新・平家物語」で平清盛の弟、経盛役で俳優としてもデビューを果たし、同年9月にはデビュー曲「男の子女の子」がオリコン週間チャートのベストテン入りを果たすなど目覚ましい活躍ぶりを見せていました。
そんな郷ひろみさんの当時の画像はこちら!
一瞬、「女の子かな?」って思うほど可愛らしいですね!
しかしながらこれが正真正銘当時の郷ひろみさんです。眉毛で分かりますね。
そしてその翌年にあたる1973年には「裸のビーナス」で第4回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞。当時はブロマイド(芸能人の写真)の売上が人気のバロメータになっていたのですが、郷ひろみさんのものは数あるアイドルの中で年間売り上げNo.1を果たし、西城秀樹さん、野口五郎さんと共に新御三家と呼ばれ、トップアイドルの仲間入りをした年でもありました。
その時の画像ですが、今見るとちょと恥ずかしい!?
年末には第24回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、1974年には初主演ドラマ「ちょっとしあわせ」の主題歌「よろしく哀愁」で、郷ひろみさん自身初となるオリコン週間チャートの第1位を獲得するなど、順風満帆に活躍の場を広げていくかと思われていましたが、1975年に突然、別のプロダクション会社への移籍を発表し大きく話題になります。
郷ひろみがジャニーズ事務所からバーニングへ移籍、そして現在の所属先は?
1975年の3月にジャニーズ事務所を離れた郷ひろみさん。大手プロダクションであるバーニングプロダクションに移ったのですが、脱退した理由とは一体何だったのでしょうか?
そして現在はそこからまた別の事務所へ移籍をしているのですが、どこの事務所なのでしょうか?
真相に迫ります。
郷ひろみさんがジャニーズ事務所へ入ったのは15歳の時でしたが、当時は歌やダンスのレッスンを何も受けない状態でトントン拍子にNHK大河ドラマ出演が決まり、気がつけばトップアイドルの仲間入りを果たします。
当時は毎日のように歌番組に出演し、連続ドラマでも俳優として活躍。トップアイドルの名に恥じない活躍ぶりを見せていました。
しかしながら、睡眠時間は3時間程度。食事や着替えも移動車の中という超多忙な生活を余儀なくされた郷ひろみさんは、18歳になる頃、ある不安を抱えるようになります。それは
「歌えない踊れない喋れない、こんなスキルの無い自分のままでいてはいずれ世間から見放される」
とスキルアップを意識するようになりました。
一方ジャニーズ事務所側は
「スキルアップを図るのは今のブームが落ち着いてからでもいいでしょう。」
と郷ひろみさん自身と意見のずれが生じるようになり、話し合いの結果、契約期間満了の1975年3月末に契約更新をせず、4月から大手プロダクションであるバーニングプロダクションへと移籍することになったとのこと。
ジャニーズ事務所を離れいっきに仕事が減った元アイドルは沢山いますが、郷ひろみさんは脱退後も変わらず活躍をしていました。やはり実力があったということでしょうね。
1986年3月から渡米して一時期芸能活動を休止していた時期がありましたが、2005年4月に「愛より速く」を発表し芸能活動を再開。2014年には長年所属していたバーニングプロダクションからエヴァーグリーン・エンタテイメントに移籍し現在に至ります。
エヴァーグリーン・エンタテイメントは、バーニングプロダクションで郷ひろみさんのマネージャーをしていた中田茂さんが立ち上げたバーニンググループに属する企業。資本金1000万円、従業員数17名の小規模な事務所です。
所属タレントには過去にWatの小池徹平さんが所属していたこともあったり、現在では溝端淳平さんやジュノンボーイの山本裕典さんなどが有名ですね。
ということで、郷ひろみさんがジャニーズ事務所を移籍した理由は、「事務所との方向性の違いだった」ことが分かったのですが、実はこれ表向きの理由だったとのことで、実際はジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川さんとの関係が原因だっとする噂があるんですよね。
後半に続きます!
郷ひろみがジャニーズ事務所を移籍した本当の理由はジャニー喜多川?
郷ひろみさんの表向きの事務所移籍理由は「方向性の違い」でしたが、どうも裏ではジャニー喜多川社長との親密な関係性があったのではないかと噂されています。
このような噂があがった理由のひとつとして、郷ひろみさんがソロデビューであることが関係していると考えられます。
数多くのアイドルを輩出してきたジャニーズ事務所ですが、その多くがグループであり、ソロでのデビューというのが極端に少ないんですよね。
ここ数十年ソロでデビューさせたアイドルは…いないんですよね。
ソロで活躍している現役アイドルが沢山いるので、にわかに信じがたいのですが、改めて確認してみると皆どこかのグループに所属しています。
では、なぜジャニーズ事務所はソロでアイドルをデビューさせないのでしょうか?それには過去に大きな失敗をやらかしたことからソロでのデビューに踏ん切りが付かなくなっているという話があります。
その失敗というのは、ひかる一平さんのソロデビューに関する話です。
ひかる一平さんは「3年B組金八先生(第2期)」でデビューし、その後歌手として売り出したのですが、泣かず飛ばずで、わずか1年でその姿を消したという過去があります。
グループの場合では各所属メンバーにファンが付き、グループ全体として人気を確保することができますが、ソロとなるとグループに比べてファンの確保が難しいことが考えられます。
そういったリスクをジャニー喜多川社長は十分承知しているのでしょうね。
話を戻しますが、郷ひろみさんはジャニーズ事務所でも珍しくソロで大成功を収めたアイドル。
ジャニー喜多川社長が手塩にかけて育てたことが想像出来ますが、実はプライベートにおいてもジャニー喜多川社長から誘われていたとの噂があります。
ジャニー喜多川社長が郷ひろみさんを大切に思うあまりに、その思いがやがて恋愛感情へと変わってしまったのでしょうか?
もしこれが本当だとすると郷ひろみさんは毎夜毎夜「オレって男の子?女の子」状態になっていたのかもしれませんね。
さらに、脱退後所属したバーニングプロダクションでも同様の事態になりアメリカへ避難したという噂もありますが、美男子すぎるのも考えものですね。
郷ひろみさんは現在では歌って踊れる、まぎれもないトップアイドル、トップスター。還暦を過ぎても第一線で活躍し続けるバイタリティーには尊敬しますね。
そんな郷ひろみさんもジャニーズ時代は苦労したことがうかがえました。
これからも末永く「ゴーゴーゴー!」とキレッキレのダンスを披露して活躍してくれることを願っております。
郷ひろみの派閥は、どちらかといえばメリー派?
そしたらバーニングプロの権力者・周防郁雄との関係良好が証明されるしね。