光GENJIメンバーの現在に衝撃!解散理由は大喧嘩だった!?
今のアイドルの形を作ったと言っても過言ではない光GENJIさん。
惜しまれながら解散してしまいましたが、メンバーは現在どうしているのでしょうか?
解散の理由や各メンバーの近況について要チェック!
1980年代後半に大活躍していた光GENJIさん。ローラースケートでのパフォーマンスは現在でも知っている人は多いでしょう。
同グループは残念ながら解散してしまいましたが、人気が低迷してきている中での解散ではなく、人気絶頂の中での解散だったため、本当の理由が気になるところですよね。
また解散した後の各メンバーは現在どうしているのでしょうか?
まずは、「光GENJI」のメンバーから見てきましょう。
光GENJIのメンバー紹介!
伝説の人気アイドルグループ「光GENJI」のメンバーを当時の画像と併せてエピソードをご紹介いたします。
内海光司(うちうみこうじ)
愛称:キノッピー
生年月日:1968年1月11日
身長:178cm
血液型:A型
イメージカラー:青
元は「光」のメンバーで、最年長ということもあり光GENJIのリーダーとなりました。
優しい雰囲気でお兄さん的な感じがしますね。
大沢樹生(おおさわみきお)
愛称:ミッキー
生年月日:1969年4月20日
身長:177cm
血液型:A型
イメージカラー:紫
先程の内海光司さんと同じく「光」に所属していましたが、実はこのグループ、大沢樹生さんのために結成されたという話もあります。
「光GENJI」内では年長組ということもあって大人な雰囲気でファンを魅了しました。
諸星和己(もろほしかずみ)
愛称:かーくん
生年月日:1970年8月12日
身長:169cm
血液型:A型
イメージカラー:ピンク
言わずと知れた「光GENJI」でNo1の人気を誇ったのが諸星和己さん。
なんと、あのおニャン子クラブの会員番号20~30番は全て関係を持ったとの逸話も!
他にも、当時のアイドルを思い浮かべたらそのほとんどが諸星和己さんの元カノだとする話もあり、人気ぶりを伺わせますね。
佐藤寛之(さとうひろゆき)
愛称:ヒロくん
生年月日:1970年11月2日
身長:170cm
血液型:AB型
イメージカラー:水色
真面目で穏やかな印象の佐藤寛之さん。メンバーの年齢で中間に位置し、人気も中間程度だった印象。
しかし歌唱力はトップクラスでかすれた感じの歌声は「光GENJI」さんの歌声にアクセントを効かせていました。
山本淳一(やまもとじゅんいち)
愛称:バンジー
生年月日:1972年2月28日
身長:168cm
血液型:B型
イメージカラー:赤
お坊ちゃまな風貌とは裏腹にメンバー内では一番の身体能力を誇り、アクロバットでファンを魅了しました。
また、歌唱力が非常に高く、安定感のあるハイトーンボイスで光GENJIさんの歌をリードしていました。
赤坂晃(あかさかあきら)
愛称:カメ→晃くん
生年月日:1973年5月8日
身長:178cm
血液型:B型
イメージカラー:緑
端正な顔立ちの赤坂晃さんですが、デビュー当時は顔が亀に似ていることから愛称が亀になってしまったという話しが…。
メンバー内で一番の高身長!俳優として活躍していたことも記憶に新しいですね。
佐藤敦啓(さとうあつひろ)
愛称:あっくん
生年月日:1973年8月30日
身長:168cm
血液型:A型
イメージカラー:黄色
「光GENJI」時代に諸星和己さんと人気を二分したのが佐藤敦啓さん。
オーディションを受けること無くジャニーズ事務所へ入ったというエピソードがありますが、納得のイケメンぶりですね!
以上が「光GENJI」の元メンバーですが、結成前の「GENJI」に所属していた人がいますのでご紹介します。
田代秀高(たしろひでたか)
生年月日:1965年10月12日
血液型:O型
赤坂晃さんと入れ替わりでGENNJIを脱退した田代秀高さん。
確かに他のメンバーとは年齢差もあったので、グループ全体としてのイメージに合致しないとジャニーさんが判断したのかもしれませんね。
光GENJIの人気ぶりを振り返る
光GENJIさんは現在のアイドルグループの形を作り上げた先駆けとして知られていますが、その人気ぶりは現在のどのグループとも比べ物にならないほどでした。
そのことが伺えるエピソードをご紹介します。
光GENJIがMステにレギュラー出演
1986年10月24日から放送されているタモリさんが司会を務める長寿番組『ミュージックステーション』
同番組はその時々の人気のアーティストをゲスト出演する形の番組に人気がありますが、なんとその番組に1988年から1992年にかけて光GENJIさんがレギュラー出演していました。
その出演回数はなんと
234回!
未だその記録は抜かれていません。
ちなみに2位は133回のTOKIOさん。続いてSMAPさんの125回、女性の第1位は浜崎あゆみさんの84回となっています。(※ともに2015年8月までの出演回数)
2位と倍程度の差を付けるなんて本当にスゴイですね!
光GENJIは厚生労働省をも動かす!
連日テレビ出演していた光GENJIさん。テレビ収録が深夜に渡ることがありましたが、そのことが労働基準法の「児童の使用許可」の項目に違反していると問題視され、一部のメンバーがMステなどに出演することができなかった時期がありました。
労働基準法では
児童については、午後8時から午前5時の間の就業は原則禁止
と定められていて、それに佐藤敦啓さんと赤坂晃さんが該当していたんですよね。
しかし、当時の人気ぶりを考慮して1988年に厚生労働省に『光GENJI通達』の特例が出て午後8時以降も仕事ができるようになりました。
現在では先程の労働基準法に
演劇の事業に使用される児童が演技を行う業務に従事する場合は、深夜時間帯の取扱いを午後9時から午前6時とする
と例外が付与されています。
光GENJIさんが現在の若年アイドルの活躍の場を広げたといっても過言ではないでしょう!
光GENJIがムラサキスポーツを大きくした?
全国展開しているスポーツ用品店「ムラサキスポーツ」の売上に光GENJIさんが大きく貢献したという逸話があります。
というのも、光GENJIさんが履いていたローラースケートはムラサキスポーツさんが提供したものだったんですよね。
当時、ローラースケートを始める小中学生は後を絶えず、一時期は手に入らない状態にまで人気が加速していたことは有名な話。
会社の沿革の中で「◯◯店オープン」や「◯◯事業拡大」などが並ぶ中、「光GENJIにローラースケートを提供」と異彩を放つ項目が今でもしっかりと掲載されていますので、会社にとって大きな貢献をしたことは間違いないでしょう。
光GENJIの暴露本まで発売される
光GENJIさんの人気ぶりはジャニーズ事務所の中でも群を抜いていましたので関係者の間でも注目の的に。
中でも元ジャニーズ事務所のアイドル「フォーリーブス」に所属していた北公次さんは数々の光GENJIさんについての暴露本を執筆しています。
- 「光GENJIへ―元フォーリーブス北公次の禁断の半生記」
(発売日:1988年11月) - 「光GENJIへ―最後の警告」
(発売日:1989年6月) - 「光GENJIへ3-みんなで考えようジャニーズ問題」
(発売日:1989年4月) - 「さらば!!光GENJIへ」
(発売日:1989年9月) - 「光GENJIファンから北公次へ」
(発売日:1989年12月」
当時のアイドルグループで、これだけの数の暴露本が発売されているグループは他にはいませんので人気ぶりがうかがえますね。
バレンタインデーのチョコがスゴイ!
80年代は今よりもバレンタインデーのイベントが盛んで、ファンがチョコを送ることはビッグイベントとなっていました。
光GENJIさんの中でも一番人気を誇った諸星和己さんは当時を振り返りその驚愕のチョコレートの数を暴露しています。
4トントラックで38台分もらった
合計152トン!
日本人が年間に消費するチョコレートの平均数量は2kgとされていますので、その7万6000倍ものチョコレートが送られてきたことになりますよね。
これは流石に1人では消費できる数量ではありませんし、周囲の人に分けたとしても分けきる頃には賞味期限が切れてしまいそうです。
この数字は諸星和己さん個人の量なので、他のメンバーを含めるともっとスゴイことになるでしょうね。
一説によると、余ったチョコレートは施設に寄付していたとの話もありますが、現在は焼却処分をしている切ない現実も…。
食品の安全面から考えて仕方のない対応策なんでしょうね。
コンサートの度に地方紙の夕刊に大きく掲載される
コンサートで全国の会場を回っていた光GENJIさん。
各地方で公演をする度に、その土地の地方新聞が大きく取り上げていました。
❝町おこし❞レベルではなく、光GENJIさんがコンサートに来ることは❝都道府県おこし❞のような一大イベントだったことがうかがえますね。
そんな光GENJIさんは人気絶頂の中、解散をしてしまいます。
光GENJIが解散!
先程は光GENJIさんの活躍ぶりについて振り返ってみてきましたが、どれも桁外れのエピソードですよね。
誰もがこのままトップスター街道を突き進んでいくと思っていた矢先、光GENJIさんは解散をしてしまいます。
解散ライブは1995年9月3日。名古屋市総合体育館『レインボーホール』(現在は『日本ガイシスポーツプラザ』)で行われました。
ステージ上で土下座をした諸星和己さん。今見ても涙が出そうになるシーンですね。
実は1年前から諸星和己さんは光GENJIの解散を予見していたといいます。
1994年の大阪城ホールでのコンサート「SUMMER CONCERT’94 FOREVER YOURS」が終わった後の事。
ホテルで食事をしていた諸星は、「カットしたステーキの左から3番目の肉を食べる」という癖のある大沢が、付け合わせのにんじんから手をつけるところを目撃。
諸星はその瞬間の気持ちを「いつもパワーをつけるために、左から3番目の肉を食べてたやつが、ニンジンから食ったっていうのが」と話し、大沢のやる気のなさに光GENJIの終焉を感じ取った。
引用元:【光GENJI、解散の瞬間を明かす(livedoor NEWS)】
どうやら光GENJIさんが解散した理由は大沢樹生さんが大きく関係しているようですが、一体何があったのでしょうか?真相に迫ります!
光GENJIの解散理由は大喧嘩だった!?
1987年6月25日に結成された光GENJIさん。特徴的なローラースケートでのパフォーマンスもあってデビューと同時に一気にブレイク。
当時は街からローラースケートが無くなってしまうという現象があったほどです。
人気絶頂の中1995年9月3日に光GENJIさんは解散してしまいます。
その主な理由として挙げられるのは諸星和己さんと大沢樹生さんの大喧嘩。活動中から二人の不仲説はずっと囁かれ続けていました。
しかし、実際の解散理由は二人の大喧嘩ではありません。また、二人は不仲どころかとっても仲がいいのです。
というのも、2016年11月27日に放送された『クイズ★スター名鑑』で二人は共演していますし、さらには、12月2日に諸星和己さんと大沢樹生さんのディナーショー『再開 諸星和己VS大沢樹生 SPECIAL TALK NIGHT with DINNER』を開催しています。
本当に活動中から不仲で、大喧嘩が理由で解散したとなると、今更絶対に共演するなんてことはありえないですよね。
ちなみに大喧嘩と言えば、諸星和己さんの武勇伝。紅白歌合戦のリハーサルの時に、ステージ衣装の王冠付き帽子にいたずらされて激怒したという話があります。
なんでも王冠が外され代わりに股間の絵をマジックで書かれていたとのこと。それを見た諸星和己さんは大激怒。いたずらをした先輩アイドルと大喧嘩になったといいいます。
その喧嘩を止めに入ったのはなんと❝さだまさし❞さんと❝南こうせつ❞さんだったと言うから驚きですね。最終的には北島三郎さんまで出てくる大騒ぎになったとか。
先輩アイドルが誰だったのかについて諸星和己さんは公言していませんが、噂によると少年隊の植草一秀さんだったそう。
では、光GENJIが解散した本当の理由は一体何だったのでしょう。
それは大沢樹生さんのグループ脱退が直接的な原因だったのです。
大沢樹生さんは
「このまま光GENJIとして活動を続けていて先があるのか?」
と将来に不安を感じ、俳優としての展開を考え始めていたといいます。
後に大沢樹生さんは当時を振り返りこんなコメントをしています。
「いま思えば、僕はアイドルを演じきれなかったんでしょうね。」
どうやら大沢樹生さんが光GENJIを脱退したのは❝将来不安❞が主な原因だったようですね。
大沢樹生さんの異変にいち早く気付いたのは諸星和己さん。メンバーを集めて解散することを伝えたと語っています。
最近では日本を代表するSMAPの解散が大きく話題になっていますが、アイドルグループは❝解散❞が宿命なのかもしれませんね。
光GENJI再結成の可能性アリ?
光GENJIさんの解散についてはメンバーの不仲説が一部で流れていますが、解散した理由で触れた通り、大沢樹生さんの脱退と諸星和己さんの判断が主な原因。
アイドルとして活動を続けることにメンバーは不安を感じていたということでしょう。
なので、再結成する可能性は十分に考えられますね。
2016年12月2日にあった大沢樹生さんと諸星和己さんのディナーショーでも共演していますし、2016年11月27日に放送された「クイズ★スター名鑑」にも内海光司さん、佐藤アツヒロさん、赤坂晃さんを除くメンバーが共演を果たしています。
ただ、再結成に当たって2点ほど難しいことがあると考えられます。
一番難しいことは各所属事務所との兼ね合いでしょう。
ジャニーズ事務所に残っているメンバーと他の事務所に移籍した人とがグループで活動をするのは前例が無いということもあり少しハードルが高いでしょうからね。
もう一点は赤坂晃さんのイメージ。どうしても過去の事件がありますからジャニーズ事務所としては他のアイドルのイメージもあるので、難色を示しそう。
でも今回、テレビで共演することができましたので、一夜限りの再結成ぐらいはあり得そうですね!
さて、GENJI解散後、メンバーは個々に活動をしていますが、現在はどうしているのでしょうか?
光GENJIのメンバーは現在どうしている?
華々しい活躍をしていた光GENJIのメンバー。グループ解散後はソロ歌手や俳優として活躍している人もいますが、中には全く名前を聞かなくなってしまった人も…。
光GENJIの元メンバーは現在どうしているのか?順番に確認してきましょう!
内海光司の現在は?
光GENJIのリーダーを努めていた内海光司さん。
解散後は舞台を中心に俳優として活躍していますが、あまりにもの激やせぶりに心配の声も上がってきています。
内海光司さんは何か大きな病を患っているのでしょうか?
佐藤寛之の現在は?
佐藤寛之さんは光GENJI解散後、ジャニーズ事務所からも脱退し歌手として活動を開始しました。
現在は結婚して子供がいるとの噂もありますが、果たして真相は?
→佐藤寛之は現在ライブで活躍?光GENJI脱退理由や子供の真相!
山本淳一の現在は?
山本淳一さんは光GENJI解散後、広告会社の立ち上げやソロ歌手として活動をしていましたが、借金問題などの影響で一時期は芸能活動を休止していました。
一時期は道後温泉でバーテンダーとして勤務していたとの噂も。そして現在は、なんと驚きの職業になっているんですよっ!
→山本淳一の現在の画像!道後温泉のバーの場所やプロレスデビュー?
赤坂晃の現在は?
赤坂晃さんは光GENJI解散後、俳優として活躍。ドラマ「HOTEL」で高嶋政伸さんの後輩役をしていた印象が強いですね。
現在は、宮古島にバーをオープンしたとの情報が入っていますが、なんと不倫相手の女性と一緒にいるとの噂がっ!
現在の画像を確認してみると、かなりやつれてしまっているようなのですが、やはり例の事件の後遺症なのでしょうか?心配になりますね…
→赤坂晃の現在の画像!昭和バーの女性と不倫後宮古島に589店オープン
田代秀高の現在は?
実は光GENJIには伝説のメンバーがいたんですよね。その方が田代秀高さん。
グループ結成後、直ぐに脱退してしまったのですが、一体何があったのでしょうか?
そして現在はどうしているのか?詳細はコチラです!
→田代秀高の現在を画像で確認!光GENJI脱退理由は切ない?
大沢樹生の現在は?
大沢樹生さんと言えば、2013年12月に喜多嶋舞さんとの間に生まれた長男が自分の子ではないとするDNA鑑定結果が出て大きく話題になりましたね。
この騒動でバラエティー番組などへの出演が増え、プライベートでは交際相手との結婚など公私共に順調そうですが、一部で激やせが心配されています。
激やせの理由が大きな病気や❝いけないコト❞でなければ良いのですが…。
→大沢樹生の現在の仕事と激ヤセが心配!嫁さやかの過去はモデル?
佐藤アツヒロの現在は?
佐藤アツヒロさんといえば、光GENJIの時代は諸星和己さんの次に人気が高かった人ですが、現在はテレビで見かける機会が少ないですよね。
噂によるともう既に結婚して子供がいるなんて言われていますが、実際のところどうなのでしょうか?
ワタナベエンターテインメントの姉弟芸人の雷鳥のエンタメニュースを、お願いします!姉の藤沢さなえさんは村上信五さんと似てます。弟の藤沢裕一さんは戸塚祥太さんと似てます。立川志の輔さんとコラボの冠ラジオ「志の輔雷鳥なんでか?ニッポン」が全国放送中です。
植草一秀って、ミラーマンでお馴染みの人ですよね。
少年隊の方は植草克秀ですけど…わざとですか?笑