保阪尚希の両親や生い立ちが衝撃的!出家との関係性や兄弟の真相!
1990年代、萩原聖人さんや福山雅治さんと共に「新・平成御三家」として、絶大な人気があった保阪尚希さんですが生い立ちや両親の事件が衝撃的だったのです!
出家した理由と関係性があるのか、兄弟の真相についても併せて要チェック!
2017年現在で50歳の保阪尚希さん。テレビで見かけることが少なくなっていますが、現在は「通販コンサルタント」として活躍しているんですよね!
保阪尚希さんの現在の様子の詳細情報はこちらから!
→保阪尚希は現在通販で成功するも再婚は?若い頃はイケメンのヤンキー?
高身長で甘いルックス。そして実業家として成功をしていて順風満帆な人生を歩んでいると思っていましたが、実は壮絶な過去があったんですよね。
まずは、あまり知られていない保阪尚希さんの両親について、ご紹介していきます!
保阪尚希の両親は医者だった?
さて、保阪尚希さんの生い立ちを知るにあたり、両親の存在が重要になりますが、まずは職業について見ていきましょう。
世間では下記のような噂が飛び交っています。
- (保阪尚希さんが)少年時代は医者志望だった
- 親は医者じゃなかったっけ?
- 父親は自動車関係の仕事って、トーク番組の『いつみても波瀾万丈』(2005年5月22日放送)で言ってた
- 親は実業家で叔父さんが医者
- 母方の叔父が医者
上記の通り保阪尚希さんの両親の職業についてはかなり情報が錯綜していますね…。ただ、医者であると確証できる情報は無いものの、全く関係がないことがこれだけ噂になるわけがありませんよね。
そこで何かしら噂の元になるものがあるはずだと思い、保阪尚希さんの過去に出演したテレビドラマの役柄を見てみると、ちょっとした共通点を見つけました。
それがこちら!
- 1995年4月20日ドラマ『輝く季節の中で』医大生役
- 1995年7月6日ドラマ『外科医柊又三郎』外科医役
- 1997年8月5日ドラマ『フェイス』医者役
- 1997年10月13日ドラマ『研修医なな子』医者役
- 2004年12月4日ドラマ『おとり捜査官・北見志穂妖しい傷跡の死美人“幸福の花嫁”連続殺人事件』監察医役
このことから保阪尚希さんが萩原聖人、福山雅治とともに「新・平成御三家」と呼ばれていた人気絶頂の頃を中心に「医療関係」の役柄が多いんです。
役柄が偏ると俳優さんのイメージがそれになる、というのはよくあることです。
そのため、保阪尚希さんの両親が医者ではないかという噂は、役柄のイメージがそのまま「両親の職業では?」という風にふくらんだ可能性が高そうですね。
さて、噂について検証してきましたが、保阪尚希さんの両親の職業については次に紹介する確証的な情報があります。
2007年4月17日に発売された週刊誌『女性自身』で、保阪尚希さんの母方の伯父が両親の職業についてはっきりと証言していました。
- 父・政雄さんは自分の父の土建建材の会社を手伝っていた。
- 母・征子(ゆきこ)さんは自分で店を出していて、昼は喫茶店で夜はスナックだった。
そして更なる情報として2007年11月に発売された保阪尚希さんの自著『理由(わけ)』の中では、両親の職業について他のことが語られています。
”父はトヨタに勤めていたようで、実家を整理していたらトヨタの賞状が色々出てきた。トヨタの仕事とは別に母と一緒にジャズ喫茶も経営していた。”
引用元:【父と母との記憶(理由(わけ)144P)】
この内容から保阪尚希さんの父・政雄さんの職業は2つ挙がっていますが、土建会社の手伝いとトヨタの仕事は時期が違うということなのでしょう。
なぜなら、トヨタという大企業に勤めて賞状がいくつも出てきたということは、相当な実績があったということですし、その時期に並行して土建会社の手伝いをする余裕があるというのは考えにくいですしね。
そして母・征子さんは昼はジャズ喫茶で、夜はスナックだったということですが、その店を切り盛りしていたのが征子さんで、政雄さんは本業があるので経営の立場にいたというのが実際のところでしょう。
両親が自殺した理由は?
忙しく働く両親の元で育った保阪尚希さんですが、人生でおそらく一番衝撃的で、その後の人生観までも変えてしまった事件が起きます。
まず、その事件が起きる少し前、保阪尚希さんが6歳の時のこと。大きな交通事故に遭い、4ヶ月もの入院を余儀なくされました。
当時の様子について前述の『理由(わけ)』の中で保阪尚希さん自身は、不思議な体験の記憶と共にそれを語っています。
”小学校1年の1学期にタクシーに踏みつぶされて1週間意識不明になった。
(意識不明の中で)三途の川のそばを歩いていたら僕と逆に進む人の行列があって、道行く人から次々に「向こうに行ってはいけないよ」と言われた。
反対に進んで行くと灯りがあって、近所の清水寺のご神木の穴から外に出た。そして家に帰って玄関の扉を開けたら目が覚めた。”
引用元:【事故の記憶(理由(わけ)148P~151P】
いわゆる臨死体験ですね。「引き返しなさい」と言われたり、後ろから引きとめられて意識を取り戻して生還するというのはよく聞く話しです。
大事故に遭ってなんとか命をつないだ保阪尚希さんですが、事件はその直後起きてしまいました。せっかく退院した3日後の1974年12月15日の早朝に保阪尚希さんの両親が自殺したのです。
しかし一体なぜ保阪尚希さんの両親は、幼い我が子を置いて自殺などしてしまったのでしょうか。保阪尚希さん自身も知らされていないとはいえ、やはり世間では様々な噂が流れています。
- 借金を苦にした無理心中
- 情報番組『スーパーモーニング』(2007年4月3日放送)で保坂尚希さんの父親が離婚後に母親を刺し自分も自殺したとの発言
- 崖から車で転落した事故に見せかけた自殺
またも両親の職業同様に世間の噂に統一感はありませんがこの噂の出どころをたどってみるとヒントは1994年4月ドラマ『家なき子』の役柄でした。
これが保坂尚希さんの生い立ちと通じる部分が多々あるんです。
ドラマ『家なき子』の中で保阪尚希さんが演じたのは、安達祐美さん演じる主人公・相沢すずの担任、片島智之という役でした。
実は片島智之は小学生の時、一家心中を試みた父親が母親を手に掛け、里子に出された過去を持つという設定でした。
世間の噂を知った上でこの設定を聞くと、保阪尚希さんが一体どんな心境で役を演じたのかと胸が詰まる思いがしますね…。
では、実際のところ保阪尚希さんの両親はどんな形で亡くなったのでしょうか。
事件が起きた当時、保阪尚希さんの地元、静岡県の『静岡新聞』の社会面トップに、こんな見出しが掲載されました。
「別れた妻刺殺し自殺・復縁迫り発作的に?」
同紙面の内容を確認すると、『保阪尚希さんの父・政雄さんが母・征子さんを包丁で刺した後、自分も胸を刺し自殺した』というのが実際に起きたことだったんです。
世間の噂は多少、事実と違う点はあるものの新聞の記事に取り上げられたりしたことから、全くの事実無根という訳でもなかったんですね…。
ちなみに両親が亡くなった後、幼い保阪尚希さんはどうしていたのでしょうか。
“亡くなる数時間前まで両親と一緒にいたが祖母と寝床に入り、目覚めた時には多数の警察官が家に駆け付けていた。原因は保阪尚希さん自身もいまだに知らされないまま”
引用元:【保坂尚希が出家!壮絶人生…表向きは交通事故も7歳で両親自殺(デイリースポーツ2007年3月23日)】
保阪尚希さんは12月11日生まれ。誕生日を迎えたのは退院する前日でした。そして離婚して離れて暮らすことになっていた母親とのクリスマス前の夜に、まさか自分が眠っている間に両親が命を絶つとは誰も想像し得なかったでしょう。
それにしても保阪尚希さんの両親は7歳の息子を残してなぜ無理心中をしたのでしょうか?
これについても先に述べた伯父が同じ『女性自身』の中で真相を語っています。
どうやら父・政雄さんと母・征子さんの間に夫婦間のトラブルがあったことがこの事件の発端だったようです。
”政雄さんがギャンブルにハマッてから夫婦仲が冷えた。家計を支えるために店を出してからさらに険悪になった。1974年10月に征子さんが1人で家出をし、12月初旬に協議離婚が成立”
引用元:【女性自身(2007年4月17日号)】
その直後、町内のクリスマス会に子どもと参加するために一泊しに帰って来た夜に保阪尚希さんの両親が無理心中を図ったのです。
両親が亡くなったことについて保阪尚希さんは『女性自身』に胸中を語っていました。
”「遺体は見たが理由は今も分からない。聞こうとも知りたいとも思わない。」”
引用元:【保阪尚希「僧侶の道」決断&「7歳の悲痛過去」を告白!(女性自身2007年4月10日号)】
そうは言っても、生死の境をさまようような大事故から生還した直後わずか7歳にして突然、両親を失った傷は簡単に癒えるものではないですね・・・。
7歳なら記憶にも残っていることが多いでしょう。それが、当時の保阪尚希さんにとってどれほど衝撃的だったかは想像に絶えませんね。
保阪尚希に兄弟がいる?
ところで、保阪尚希さんに兄弟はいなかったのでしょうか。
両親が自殺した当夜に保阪尚希さんは祖母に寝かしつけられて一緒にいたのは分かっていますが、世間ではもう1人一緒にいた人物の存在について、下記のような情報が上がっています。
- 保阪尚希さんは親戚の医者に妹と共に引き取られた
- 妹が静岡県のお茶畑を経営している人と結婚して幸せそうだった
- 保阪尚希さんに似てスラっとしたきれいな人だった
- 穏やかそうな旦那さんとお茶畑で幸せそうだった
- 妹(まゆみさん)は静岡県の藤枝市に居る
これだけ情報が揃っているところをみると保阪尚希さんに妹がいることは間違い無さそうですね。
さらに妹の存在について確認できる情報は『静岡新聞』の見出しにもありました。
「涙誘う残された二児」
この記事には
❝事情をよく理解出来ない長男・尚希ちゃん(7歳)と長女・真弓ちゃん(2歳)❞
と明記されています。
このことから保阪尚希さんには5歳年下の妹がいることがハッキリしましたね。
事件の後の妹・真弓さんがどういう人生を歩んでいるのかは、あくまで世間の噂に過ぎませんが1つ気になる点があるんですよね。それは「静岡県」。保阪尚希さんの出身地は静岡県静岡市です。
出身地ということもあって、静岡の名産品の茶葉を生産しているところへ嫁いだとしても不思議ではありませんよね。
ちなみに保阪尚希さんには弟がいるという情報も上がってきていますがこの情報に関しては勘違いと見て間違いないでしょう。
弟として頻繁に名前が挙がるのが、東京都議会議員(2017年現在)の保坂まさひろさんですが二人は兄弟ではありません。
ではなぜ保坂まさひろさんの名前が出て来たのでしょうか。まずはどんな方なのか画像で確認してみますと…
保阪尚希さんと保坂まさひろさんを比較した画像もご紹介します。
確かに少し大きめの鼻、太めの眉、輪郭など似ている部分がかなりあり、何も知らない人に「この2人は兄弟だと思いますか?」と聞くとうなずく人が多いでしょう。
しかし保坂まさひろさんのプロフィールを見ると、保阪尚希さんとは全くの別人であることが分かります。
まずは保阪尚希さんのプロフィールはこちら。
保阪尚希(本名:同じ)
1967年12月11日(49歳)←誕生日で50歳
静岡県静岡市葵区出身
これに対して都議会議員の保坂まさひろさんのプロフィールはこのようになっています。
保坂まさひろ(本名:保坂真宏)
1974年4月22日(43歳)
東京都台東区出身
父・保坂三蔵さん(元参議院議員)
両親、妻、2人の子どもと同居中
一目瞭然ですが、2人の相違点を挙げると・・・
- 苗字が違う「阪」と「坂」
- 出身地が全く違う
- 保坂まさひろさんは両親が存命
以上のことから都議会議員の保坂まさひろさんが、保阪尚希さんの兄弟であるという情報は間違いであることが分かりました。
さて、7歳という年齢で両親を亡くした保阪尚希さんですが、その後どんな生活を送っていたのでしょうか。
そこには保坂尚希さんという一人の男性の“生きざま”が刻まれていました。
保阪尚希の生い立ちが衝撃的!
両親が自殺したことで小学校時代はいじめを受けたりもしていたようです。そのことについて保阪尚希さん自身が週刊誌にこう語っています。
”幼いころ「しんじゅの子」と呼ばれていた。心中が「しんじゅ」になったのだろう。アニメ『みなしごハッチ』が当時放送されていて孤児だから「ハッチ」と言われたこともある”
引用元:保阪尚希【保阪尚希「僧侶の道」決断&「7歳の悲痛過去」を告白!(女性自身2007年4月10日号)】
悪意はなかったのでしょうが、子供が付けるあだ名というのはときに残酷ですね。それでも、保坂尚希さんは一度も自殺した両親を恨んだことがないそうです。
両親が亡くなったあと、保阪尚希さんと妹・真弓さんは父方の祖母の所に引き取られて育ちました。
ちなみに保阪尚希さんの現在については最後で触れますが、「通販コンサルタント」として活躍する現在の片鱗を子ども時代のエピソードの中に垣間見ることができます。
保阪尚希さん著の『理由(わけ)』の中でこんなことが書かれていました。
- 熱帯魚が欲しくて買い替えに来るお客さんの熱帯魚をもらうため、熱帯魚ショップでお小遣いをもらって手伝っていた。
- 「コイの引っかけ」という1回100円の鯉を釣るゲームで釣った鯉を、デパートの屋上で500円で買ってもらっていた。
- 鯉で稼いだお金でハツカネズミのペアを買って子どもを産ませて、1匹50円で売って、あっという間に万単位を稼いだ。
万引きやカツアゲのような手段ではなく、自分の頭で考えてお金を稼ぐ方法を編み出していたんですね。小学生の時からビジネスをしていたとは驚きですね。
そんな幼少期~思春期を過ごしながら中学の時にスカウトをされたのをきっかけに、ビジネスで稼いだ資金を元に卒業後、単身上京。上京後は「明治大学付属中野高等学校定時制」へ通いますが、芸能界デビューをきっかけに中退しました。
ちなみに「明治大学付属中野高等学校」は東京都中野区東中野三丁目に所在する私立男子中学校・高等学校で数多くの有名人が在籍・卒業していた学校なんですよ。
一部ですが、「明治大学付属中野高等学校(定時制以外も含む)」に在籍・卒業した有名人をご紹介します。
<明治大学付属中野高等学校>
- 津川雅彦さん
- 宇崎竜童さん
<明治大学付属中野高等学校・定時制>(定時制は2003年廃止)
- 宇梶剛士さん
- 西城秀樹さん
- 野々村真さん
- 近藤真彦さん(たのきんトリオ)
- 布川敏和さん(シブがき隊)
- 東山紀之さん(少年隊)
- 大沢樹生さん(光GENJI)
- 岡本健一さん(男闘呼組)
- 麻丘めぐみさん
- 浅香唯さん
- 小泉今日子さん
- 島崎和歌子さん
- 中森明菜さん
- 観月ありささん
これはほんの一部で、まだまだ多くの有名人がこの学校の門をくぐって来ました。
ところで、保坂尚希さんは甘い顔立ちや、高身長ながらも細い体格とは裏腹に、昔から喧嘩が絶えず、今なお“元ヤン”の肩書きがついて回るほど。
実際のところはどうだったのでしょうか。こんな逸話があります。
“昔は随分と暴れまわっていた”
引用元:【保阪尚希は両親が自殺・・・壮絶な生い立ち・エピソード4選まとめ(KYUNKYUN)】“元ヤンキーで、一匹狼。一人で大人数相手に大立ち回りをしたことも。「元ヤン芸能人腕相撲大会」では決勝戦で元暴走族総長バッドボーイズ佐田正樹さんを秒殺”
引用元:【【芸能】ケンカが強い芸能人まとめ(NAVERまとめ)】
これだけ聞くと、相当やんちゃだったイメージですよね・・・。実際に腕っぷしが強いことが分かるエピソードがあります。
「元ヤン芸能人腕相撲ダービー」は、2013年6月16日放送の『爆笑大日本アカン警察』の企画で放送されたものです。
ちなみにこの「元ヤン芸能人腕相撲ダービー一番強いのは誰だ!?」に参戦した面々をご紹介すると、なぜ保阪尚希さんがそこに?と思うような名前が並んでいます。
- 佐田正樹さん(福岡最強の元ヤン・バッドボーイズ)
- パンクブーブー黒瀬 純さん(頭突きだけでのし上がった元ヤン・)
- 薬師寺保栄さん(プロボクシング王者の元ヤン)
- 小沢一敬さん(異彩を放つ元ヤン)
保阪尚希さんは❝群れを嫌う一匹狼の元ヤン❞として出場していますが、他の人は元ヤンだったことが卒アル画像などで明確な人ばかりなので、そこへキャスティングしたとなると元ヤンだったことは間違いないということなのでしょう。
保阪尚希さんはプロボクサーまで参加していたこの大会で見事優勝!彼の強さが本物だということが分かりますね。
「いやいや、たかが腕相撲で?」と思うかもしれません。
でもヤンキー(不良)同士の喧嘩では、腕の強さがものをいいます。力があればあるほど、例え細身でもパンチ1つのダメージは大きくなるんですよね。
加えて保阪尚希さんは180cmという高身長。そのぶん手足も長くなるのでリーチが長く、腕を振りかぶった時の破壊力が増えるという訳です。
やはり、こういう所だけを見ると保坂尚希さんがただ喧嘩っ早く、血の気の多い若者だったのかな、という印象ですよね。
しかし2004年に元嫁の高岡早紀さんと布袋寅泰さんとの不倫が報じられた際の保坂尚希さんの怒りは、ただの“血の気の多い元ヤン”という印象ではありませんでした。
不倫が報じられた際、布袋寅泰さんがマスコミ各社に送った謝罪のFAXの内容に、保坂尚希さんが激怒した理由がこちらです。
“「結婚していた女をいてこましといて、“火遊び”は許せない。けじめをつけたい」と怒り心頭”
引用元:【保阪尚希と布袋寅泰が一触即発! 高岡早紀をめぐる「火遊び発言」(excite.ニュース)】
ちなみに“いてこます”とは大阪弁で「ひどい目にあわせてやろうか」という一種の脅し文句のような意味がありますが、それ以外にも「女性を口説く」というような意味もあるんです。
相当コテコテの大阪弁で、実際に使っている人は今はほとんどいませんが…。
保阪尚希さんが口にした「いてこましといて」は後者の方で「高岡早紀さんに手を出しておいて」という意味で使っていますね。
しかし、高岡早紀さんも“魔性の女”と言われるほどの恋多き女性。保阪尚希さんはなぜ、ここまで激怒したのでしょうか。
“「自分が一度愛した女性、子供を産んでくれた女性をFAX1枚のコメントで“火遊び”扱いで、はき捨てるのは許せない。
何らかの形で謝罪がない場合は弁護士と相談し、それなりの処置もとる」と訴訟も辞さない構え”
引用元:【【真相】俳優・保阪尚希と女優・高岡早紀が離婚した「本当の理由」【暴露】(NAVERまとめ)】
結果2004年6月に離婚した保阪尚希さんと高岡早紀さんでしたが、実は離婚後もしばらく家族で一緒に住んでいたですよね。その理由には両親の死が大きく影響していました。
“目の前から親が急にいなくなることから、子どもたちに与えるショックを考えてのこと”
確かに若いころは喧嘩が絶えなかったかもしれません。でも保阪尚希さんの言葉から、いかに情に厚く家族思いなのかが分かります。
そして何より、両親を亡くしたことで自身が傷つき、苦労した経験を子どもたちにさせたくない、という強い思いがひしひしと伝わって来ますね。
そんな保阪尚希さんは2007年に突然、出家することを発表し大きく話題になりました。
一体、何が保阪尚希さんを出家への道へと導いたのでしょうか。
その理由を探ります。
後半に続きます!
保阪尚希が出家した理由は?
保阪尚希さんが出家したのは、2007年4月12日。熊本県合志市の「真言六字密教」の総本山「六水院」で出家の儀式である「得度式」をとり行いました。
「真言六字密教」とは霊能者・宗教家である、下ヨシ子さんというが2005年に開いた仏教をベースにした宗教団体で、下ヨシ子さんは、その総本山「六水院」の僧侶であり実質上のトップです。
ホームページ
『下ヨシ子オフィシャルサイト|宗教法人 肥後修験総本山六水院』
http://www.shimo-yoshiko.com/index.php?pc1
出家と聞くと、世間から離れ、頭を丸め、つつましい生活を送りながら念仏を唱えるようなイメージですよね。
しかし保阪尚希さんに限らず、出家したからといって一般的に持たれているイメージとは少し違うようです。
出家しても仕事を続ける人は多く、剃髪(ていはつ)や断酒の必要はないんです。あくまで1つでも出家先の同意の元、信念を持ってある程度の修行をすればいいとのこと。
なので、保阪尚希さんは出家したあとも、仕事を続けながら合間を縫って月数回、熊本や東京などで修行をしていました。
実際、出家した2007年に保阪尚希さんはドラマなどに出演しています。
- 2007年7月のドラマ土曜ワイド劇場『家政婦は見た!美貌の女社長、8000億の秘密・・・秋子に似たソックリ女の謎!』
- 2007年12月8日公開の映画『マリッジリング』
保阪尚希さんが出家した理由は幼少期の経験が大きく関係していました。
“出家の理由は7歳の時に「両親が自殺をした」こと。両親がいないことでいじめを受けた。しかし、それでも前を向いて歩んでこられたことに感謝し「何か子供たちに恩返しをしたい」と決意。
「突っ張って生きてきたつもりでも、いろんな人に助けられてきた。1人で生きてきたんじゃない。周りの人のためになにかできるんじゃないか」と仏門を志すようになった”
引用元:【保坂尚希が出家!壮絶人生…表向きは交通事故も7歳で両親自殺(デイリースポーツ2007年3月23日)】
冒頭でお伝えした保阪尚希さんの両親の自殺がきっかけとなり、
ここまで生きて来られたことと、周りへの感謝の気持ちから仏門を通して人のためになることをしたい。
これが出家の理由だったんですね。
保阪尚希さんの出家は1年で終了し、出家する際にもらった「尚陽(しょうよう)」という法名(ほうみょう)を「六水院」に返納しています。
なぜたった1年だったのでしょうか。
実は保阪尚希さんが出家した2007年は亡くなった両親の33回忌にあたる年だったんです。保阪尚希さんは毎年、富士山に登って供養を続けていましたが33回忌というのは特別な供養なんですよね。
保阪尚希さんの両親は自殺でしたが、それをふまえて簡単に仏教の概念をご紹介します。
仏教では自殺を禁じている、釈迦は自殺を禁じたという説が半ば定説。
- その根拠は仏教の重要な戒律である「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。これを破るのは最も重い罪。※これはどのような生き物も殺してはいけないという意味。
- 自殺を自分自身を殺す好意とみなせば、自殺は釈迦の定めた戒律に反することになる。
- しかし仏教では、どんな人でも33年たてば無罪となり極楽浄土に行くことができると考えられている。
こういった仏教の概念から、33回忌を「弔い上げ」と言い、亡くなった人を送る会を開くことがあります。
保阪尚希さんが2007年4月から1年間だけ出家したのは、両親への供養という最大の目的があったんですね。
さらにこの出家している期間に、2007年6月16日公開の映画『ブリッジ』の公開に合わせて行われたトークショーに保阪尚希さんがゲストとして招かれました。
映画『ブリッジ』はアメリカ西海岸、サンフランシスコにかかる全長2,790m、高さ230mの「ゴールデンゲート・ブリッジ」を舞台にしたドキュメンタリーです。
実はこの橋、サンフランシスコの観光名所であるとともに、世界有数の自殺の名所なんですよね…。
『ブリッジ』は、世界中に衝撃と論争を巻き起こした映画だと言われていますがその理由はこちらです。
“橋に1年間カメラを設置し、自殺者の様子をカメラに収めた。 映画の中では24人が橋から66mの高さから海面に向かって飛び降りている。”
引用元:【ブリッジ (映画)(Wikipedia)】
あまりにも衝撃的な内容のためR-15指定で公開されましたが、この映画の監督エリック・スティールさんは実は、弟と妹を相次いで亡くした時に自身も自殺を考えたことがあるとのこと。
社会への問題提起として撮られたので、宣伝など一切せずに極秘にカメラを設置し、橋の柵に足をかける人がいたら橋の管理局に連絡をすることが徹底されていました。
悲しいことに、これまで「ゴールデン・ゲートブリッジ」から飛び降りて自殺した人は2005年~2010年の間だけでも1,300人以上とされています。
もちろん遺体が見つからないままのケースや、橋の駐車場に異常な数の駐車されたままの車からして、もっと多くの人が飛び降りているとも言われるほど。
保阪尚希さんは両親を亡くし、その後壮絶な人生を送りながらも前向きに歩んで来た遺族として映画『ブリッジ』のトークショーで次のように語っています。
“前進してここまで来られたことに感謝して、悩める人々の相談相手になるために僧侶になることを決意し出家した。自殺して残された者のことを考えてあげなきゃいけない”
引用元:【衝撃の過去を明かし、出家した保阪尚希が日本の自殺問題を斬る!(Cinema Café.net)】
遺された人の痛みを身をもって体験しているからこその発言内容ですね。
さて、ここまで保阪尚希さんの両親の自殺や、その後どのように歩んで来たのかを見て来ました。
保阪尚希さんが歯を食いしばって前向きに歩んで来たここまでの人生がどれだけ壮絶だったか、自分自身が同じ立場だったらと考えてみても、やはり同じ体験をしていないと想像すら及ばない痛みや苦しみがあったのだろうと思います。
それでも現在、保阪尚希さんは変わらず前向きに人生を進みビジネスで大成功を収めています。
現在も肩書きは俳優・タレントとなっており事務所にも所属していますので、芸能活動は辞めてはいません。
それとは別に「株式会社オーギュメント」というクリエーターやアーティストをマネジメントし、日本や海外の企業・商品・イベント・人物・施設などの企画サポートをする会社にも籍を置いています。
株式会社オーギュメント 保阪尚希プロフィール
http://nikkou.info/hosaka.html
保阪尚希さんが芸能活動を減らし実業家に転身したきっかけは入院したことだったとのこと。
“4本かけ持ちで撮影をしていて、2000年の元旦に腹膜炎により内臓が破裂。手術は8時間。2日間集中治療室にいて1ヶ月入院。”
引用元:【保阪尚希が衝撃告白 内臓が破裂して集中治療室に入った過去(livedoorNEWS)】
6歳のころ、事故にあって長い入院生活をしたことを思い出してしまいますね・・・。
この大手術で保阪尚希さんが助かった要因のひとつとして病院に担ぎ込まれたのが、2000年元旦だったということがありました。記憶にある方もいるかもしれませんが、それは「2000年問題」。
1900年代から2000年代への切り替わりで世界中が騒然としたこの年明け。病院も医療機器のトラブルに備えて主要な医者が全員勤務状態だったため、保阪尚希さんの手術は、ある意味”万全の体制”で行われました。
これによってまたも奇跡的に命を取り留めたという訳です。
しかし、このことがきっかけとなり「何かを自分発信で伝えたい」と思うようになり「通販コンサルタント」という肩書きで、副業を始めます。
「通販コンサルタント」と言われてもピンと来ないかもしれませんが、簡単に言うと通販会社にアドバイスをして売り上げを伸ばしてあげる、という職業です。
その中で、保阪尚希さんがプロデュースした「ラ・クッカー」という調理器具が爆発的人気となり、累計50万個以上の大ヒット商品に!
タジン鍋をヒントにして作った「ラ・クッカー」は、電子レンジ専用のスチームポットで、短時間で簡単に調理ができるのが売りです。
2000年に入院してから健康にとても気をつかうようになった保阪尚希さんの「健康にいいものを売りたい」という思いから生まれた商品なんですね。
そして、この通販関連の売り上げで、俳優業よりはるかに稼げているようです。
“1日に1億7000万円も売り上げたことがある。野菜ソムリエやフードアナリストなどの資格も取得した”
引用元:【俳優・保阪尚希の現在 独自ブランドの商品が1日で1億7千万円を売り上げる(livedoorNEWS)】
副業で大成功している芸能人は多くいますが、保阪尚希さんの年商は、もしかしたらちょっと桁が違うかもしれませんね。
現在は独身のままの保阪尚希さんですが、結婚だけが幸せとは限りませんしね。自分のやりたいことを自由にできるのもひとつの幸せだと思います。
でも、やはり50歳を目前にしてもなお、イケメンぶりは衰えない保阪尚希さんなので、またテレビやスクリーンに姿を現してくれることを待ちたいと思います!