小島啓の現在は?ジャニーズ事務所を辞めた理由に驚き!
あのTOKIOに、幻のメンバーが?実は元々のメインボーカルは長瀬智也さんではなく小島啓さんでした。
デビュー直前にジャニーズ事務所を辞めてしまい、ボーカルが交代したのです。その理由とは一体?小島啓さんの現在の様子も併せて要チェック!
TOKIOといえば、ジャニーズを代表するトップアイドルグループですが、その始まりは城島茂さんと山口達也さんがジュニア時代に組んだTOKIO BANDが元になっています。
後に国分太一さん、松岡昌弘さん、さらに長瀬智也さんが加わり現在のTOKIOの形になりましたが、実は結成当初メインボーカルは長瀬智也さんではなかったのです!
小島啓はTOKIOのメインボーカルだった!?
「ザ!鉄腕!DASH!!」での奮闘ぶりや「TOKIOは農家か?Yesか農家で答えよ」なんてジョークが広まったせいで、つい忘れちゃいそうになりますが、TOKIOはジャニーズ事務所所属のれっきとしたアイドルです!
TOKIOも多くのジャニーズジュニアと同様、デビューまでには光GENJIのバックダンサー(平家派)やSMAPのサポート(SMAP学園)といった長い下積み期間がありました。
そんなジャニーズジュニア時代の城島茂さん(ギター)と山口達也さん(ベース)が、1989年放送の「アイドル共和国」の番組内の企画でバンドを結成。
「城島茂バンド」を名乗ったところ、世界に通用するようにとジャニー喜多川さんが「TOKIO BAND」と命名されたのが始まりだったんですよね。
ギターとベースしかメンバーがいなかったため、ボーカルやドラム探しに苦労していたところ、ジャニー喜多川さんから楽器が演奏できるジャニーズジュニアの一覧表を、城島茂さんと山口達也さんに渡してくれたそうです。
この中からキーボードの国分太一さん、ドラムスの松岡昌弘さん、さらにリズムギターの小島啓さんもメンバーに加わりました。
メンバーがそろったところで、自主バンドではなく新ユニットとしてジャニー喜多川さんに認めてもらったこの5人が、TOKIOオリジナル・メンバーということになります。結成は1990年。
オリジナル・メンバーの一員として、メイン・ボーカルをつとめていたのは小島啓さん。
当時の画像がこちらです。
二重まぶたで目がぱっちりとした、いかにも正統派のジャニーズ・アイドルという感じですね!
かわいらしい優等生キャラと言った感じでグラビアだと国分太一さんとちょっと似て見えますね。
さて、結成当初のTOKIOや小島啓さんはどのような活動をしていたのでしょう。
小島啓とTOKIOの長い下積み時代!
バンドメンバーが集まり、5人はデビューに向けての一歩を踏み出します。楽器の練習を積みながら、引き続きジャニーズJr.の一員としてバックダンサーなどの活動も続けました。
91年には、2.5次元ミュージカルのはしりと言われるSMAP主演の「聖闘士星矢」に出演。
強敵である黄金聖闘士をTOKIOの5人で演じています。映像が市販されていないのが残念ですね。
92年ごろからは雑誌に新ユニットとして紹介されるようになりました。当時はアイドル雑誌全盛時代。
共に100万部以上の売り上げを記録していた「明星」「平凡」といった雑誌の表紙を、TOKIOは何度も飾っています。
表紙を確認してみると確かに長瀬智也さんの姿がありませんね。右下に映っているのが小島啓さんです。
TOKIOはデビュー前から華やかに扱われていて早くもCMやテレビ番組にも多数出演、楽器演奏せずダンスと歌で魅せる曲も多く披露していました。
特に小島啓さんは器械体操の経験があり、運動神経は抜群だったのでダンスでも大活躍しています。
その一方、ロックバンドとしての活動はジャニーズ事務所にも内緒でこっそりと知り合いのライブに出演させてもらうなど地道な活動が続いたとのこと。
城島茂さんと山口達也さん以外の3人、国分太一さん、松岡昌宏さん、小島啓さんは、その小さなライブハウスがバンドとしての初舞台だったとか。
そんな地道な努力が実り、ついに1994年、TOKIOは本格的にバンドとして始動しますが、そこには小島啓さんの姿が…
後半に続きます!
小島啓がTOKIOを脱退!その理由とは?
1994年1月、TOKIOは初の大々的なライブツアーを行いました。あまりの熱気で中には気を失うファンもいたといいます。
さらに5月には大阪松竹座で1日10回公演を敢行!全公演全席完売と、大人気を博しました。
その結果、ついにCDデビューが決定。同年7月に記者会見が行われます。
しかし、その場にいたメンバーは城島茂さん、山口達也さん、国分太一さん、松岡昌宏さんの4人だけ。
そしてもう1人同席していたのが、これまでサポートメンバーとしてライブでタンバリンを叩いていた15歳の頃の長瀬智也さんでした。
そしてその記者会見では、なんと長瀬智也さんがTOKIOのメインボーカルとして発表されたのです!
小島啓さんについて全く触れられることなく記者会見は終わりましたが、メインボーカルが変更になっていたのでファンの間では大騒ぎに。
突然の小島啓さんの脱退とボーカル交代は、かなり衝撃的だったでしょうね。
CDが発売されるまでの2ヶ月、TOKIOはお披露目ライブを重ねますが、ある日の終演後に長瀬智也さんが小島啓さんの熱狂的ファンから生卵をぶつけられるという残念な事件も起こりました。
そのような事態にもかかわらず、ジャニーズ事務所からは小島啓さんがTOKIOを脱退した件について、詳細な説明はありませんでした。
生卵事件は完全にファンの逆恨みですが、正式に事務所が発表していればこんな自体にはならなかったのでは?と今となっては思いますね。
TOKIOから脱退した小島啓さんですが、同時にジャニーズ事務所をも辞めてしまっていたのです。
彼に一体何があったのでしょうか?
小島啓がジャニーズ事務所を辞めた理由は?
ジャニーズ事務所ではタレントの引退会見は行いません。辞めた理由も、公式発表されることはありません。
そのため、ファンの間では理由探しが行われ、現在では主に下記の理由で脱退したのではないかとされています。
アメリカ留学&パイロットになる勉強をするため。
中居正広さんは過去に自身のラジオ番組にて小島啓さんが事務所を止めた理由を
「パイロットになるために渡米したと聞いた」
と語ったことがあります。
また、同様の内容が事務所の関係者からも出ていることから、これが公式でかまわないということになるのでしょう。
親と「活動は4年だけ」と約束していた。
小島啓さんがジャニーズ事務所に入るにあたり、アイドルとしての活動は4年だけと約束をしていたとする情報もあります。
このため、活動の期限が差し迫っている中、TOKIOのメジャーデビューが決定したためデビュー後の脱退では迷惑がかかるとの理由からデビュー前に辞めたということなのでしょう。
メンバーと不仲になった(特に松岡昌宏さんと)
長瀬智也さんの正式加入を受けて松岡昌宏さんが「これでTOKIOは売れるっ!」とガッツポーズで喜んだという話から生まれたようです。
メインボーカルから外された側からすると腹立たしく思いますね。
ただ、松岡昌宏さんと小島啓さんは堀越学園の同級生で、脱退から数か月後の卒業式でも仲の良い姿が見られていましたので個人的な仲は良かったのでしょう。
国分太一とイメージがかぶる
まずはコチラの画像をご覧ください。
左が国分太一さんで右が小島啓さんですが、二人の雰囲気はかなり似ていますよね。
各個人のキャラクターを立たせるためにメンバーチェンジを行ったというのも理解できますね。
メリー喜多川が長瀬智也さんを推した
ジャニーズ事務所の副社長、メリー喜多川さんが考えるアイドルの理想像に近い人が長瀬智也さんだと言われています。このため、なんとか長瀬智也さんをメインボーカルに出来ないかと動いたという話がファンの間でささやかれています。
また、解散した男闘呼組にかわるロックバンドとして売り出したいと考え、男っぽいメンバーをメンバー入りさせたという話もあります。
確かに長瀬智也さんはとっても男っぽいですからね。
グループのデビューにはいつもサプライズ枠がある
ジャニーズ事務所のグループのデビューには、いつもサプライズ枠があると言われています。
確かに嵐のデビュー前には滝沢秀明さんのメンバー入りが濃厚とされていましたし、V6結成当初には原知宏さんの名前があがるものの、デビュー3ヶ月前になり長野博さんとチェンジして話題になりました。
原知宏さんがジャニーズを引退した理由は他にもあったようですね。
→原知宏は現在引退して会社勤務?ジャニーズを辞めた理由はヘルニア?
どれも噂の域を出ませんが、小島啓さんが脱退後、高校を卒業したのちに、アメリカへ渡航したのは事実なようです。
城島茂さんと山口達也さんもデビュー後、少ししてからのTOKIOのラジオで、
「別の道に進みたいということだったので、気持ちよく送り出した」
「メンバーもがんばれと応援した」
と語っていました。
TOKIOのデビュー前は小島啓さんはもちろん、サポートメンバーの長瀬智也さんも含む6人でグラビア撮影していたこともよくあったので、勘違いも無理はありません。
ファンの多くも、どうせなら6人でのデビューを望んでいたのではないでしょうか。
幻のTOKIOメンバーが6人そろった画像がこちらです。
※左から国分太一さん・長瀬智也さん・山口達也さん・城島茂さん・小島啓さん・松岡昌宏さん
しかし小島啓さんがTOKIO、そしてジャニーズ事務所に戻ることは無く、一方、新生TOKIOは人気アイドルとしての道を進んでいったのでした。
小島啓の現在は?
その後の小島啓さんは、芸能界に復帰することは二度とありませんでした。名前を変えて別事務所から再デビューといった道もたどりませんでした。
脱退後すぐ、アイドル雑誌には
小島啓さんは学業に専念するため引退した
という記事が掲載されていました。
ファンが集う掲示板などでは、高校卒業後数年にわたり、
シアトル(アメリカ西部)行きの飛行機で見かけた
シアトルに旅行したときに知り合った
といった書き込みがあったので、渡米先はシアトルだった可能性は高いでしょう。
ただ、パイロットになったという情報は上がっておらず、日本との間をよく往復していたようなので、腰を据えて勉強する必要があるパイロット学校に留学していないものと推測されます。
デビュー後しばらくしてからのTOKIOのラジオでは、城島茂さんと山口達也さんによって、こんなことが語られていました。
ネット上の質問箱系では「アトランタ(アメリカ南部)で板前修行」「アメリカで飲食店経営」といった書き込みもありますが、情報の裏は取れていません。
ただ、TOKIOのライブでは、小島啓さんは何度も目撃されているそうです。ということは、アメリカ在住だとしても、日本にはそれなりに帰国しているようですね。
現在はあくまで一般人として生活している小島啓さん。暴露本を出すなどTOKIOメンバーだったことをネタに稼ぐようなことを、一切していないのはさわやかです。
デビュー前からのTOKIOのファンの間では、小島啓さんとメンバーとの交流は現在も続いていて、特に親しいのはやはり松岡昌宏さんだと言われています。
グループを離れて20年以上も経つ今でも、あたたかい交流が続いているのは、うらやましいくらいですね!
バンド活動は小さな会場で…、と書いてありますが、93〜94年(デビュー前)にはBSの番組で堂々と披露していましたよ。
メンバーは6人の時もあったし、他の仕事の関係でそれ以下の時もありました。
日によって踊り曲だったりバンド曲だったりでした。
長瀬くんはTOKIOにもJrの曲やバックとしても出てて振り付け大変そうだったのを覚えています。